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TOP > 今日見たアニメ > 俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる 6話│ 夏川真那は人の気持ちが分からないのか?

    ベン・トー0313

     

    灰色の日常
    灰色の人々
    灰色の時間
    そして、灰色の自分。

    永久に降り止まない、灰色の雪が降り積もる世界。

     

     

     

    行間を想像しろとでも言いたげな、姫ちゃんの行動

    俺修羅00316

     

    姫ちゃんの孤独、寂しさ、灰色の世界への停滞。
    視聴者はそんな心を想像し、増幅させないと物語についていけないんじゃないかなと、私は思う。


    姫ちゃんの行動は正直よくわからない。いきなり鋭太の前に表れ、元恋人だと宣言したり、興味のなかった部活動に積極的になったり。人見知りのくせに鋭太に抱きついたり。


    まるでその間の行動を想像しろ、とでも言いたげな物語の展開だ。


    ラノベでもこうなのか、それともアニメ化されたことで”何か”が省略されてるのかは分からない。分からないけど、あまりに都合良すぎると感じてしまう。


    こんな子がそばに寄ってきたら、私なら全力で疑う。全身全霊をもって寄り付かせない。それくらいに出来過ぎている。なにかのいたずらか、罠だと想像を巡らせてしまうのはムリがない。


    だって、出会って数分の関係で

    鋭太は姫のだもんっ! 鋭太にぎゅっとしてもらうのは姫だけなんだからーっ!


    これはいくらなんでも無い。ありえない。

    こんなのを享受できるのは、エロゲー脳でしかありえない。「妹がいたらそりゃセックスするだろ、フツー。しねー兄貴なんているわけないの」と平然と言い放つエロゲーマーでしかありえない。エロゲー脳で無ければ、この状況は飲み込めない。ちなみに私はエロゲー脳ではない。



    それくらいに姫ちゃんは、"良い子”すぎるのだ。危険なのだ。素敵すぎるのだ。

     

    感情の発露

     

    俺修羅0325

    だめ、だめだめだめだめだっ 姫の鋭太は傷つけないで
    だって(聞き取り不可)

    ここは姫と鋭太のせっかく、せっかく見つけた居場所だもん
    会長とチワワと一緒に部活するんだもんっ

    だから、だからもう出てってよおおおおおおおおっ!!!

     

    このシーンで姫ちゃんが好きになってしまった。なんでだろ。こんなことを言うと野暮のヤボヤボなんだけど、声優さんすごいなと思ってしまった。


    お漏らし回で定評のある「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」で知った金元寿子さん。そんなに上手くないなーと思ってたら、なんか急に上手くなっていてびっくりです。

    なぜ、人を傷つけることに躊躇いがないのか?


    ベン・トー0313 (1)ベン・トー0313 (2)


    マナは、姫の乙女ポエムを音読しはじめる。

    リアルプリンセスはうつむかな~い
    きゃっはははははっwww
    リアルプリンセス? 乙女とかいてぷりんせ~す

    リアルプリンセスは傷つかない。
    辛いことがあっても笑顔でいられる。

    寂しくても泣いたりしない……

    ううっーっ! さむーいっ!!ww


    姫が涙を浮かべ流しても、音読をやめないマナ。


    うん少し羨ましいなと思う。人を傷つけるのにここまで抵抗がないことに、傷つけたという実感があるくせに止めない豪胆さに。
    本気で侮蔑し軽蔑もしてしまうけど。



    アニメだから許してしまえるけれど、実際にもこういう「人を傷つけても何とも思わない人」っていうのはいる。子どもでも大人でも、やっぱりそういう連中はいなくならない。


    なぜ、こういうことを平気で行えるのか?
    なぜ、人を傷つけることに躊躇いがないのか?


    いろいろな理由があって、いろいろな原因があるんだとは思う。ちょっと私の健忘録として、いくつか挙げてみる。

     

     



    1、感情の総数

    どういうことかというと、人が持てる感情というのは数が決まってる、と私は思うんだ。


    愛情や優しさ悲しみや切なさ、そういうのを心の中で持ち育めたからこそ、「他人に譲渡」できる。自分の中にその感情があるから、他者にその感情を受け渡せる。

    誰かに優しくしてもらったから、その実感が経験になって他の人に優しくできるように。 愛してもらったから、誰かを愛せるように。



    だからその感情の経験がなかった人は、誰かに優しくできないんじゃないかなと思う。愛されなかった子どもは、誰かを愛すのが難しいように。痛みを知らない人は、他人の痛みに鈍感なように。

    痛みを知らないやつは、他人の痛みを理解できるわけない。

     



    2,傷つけられてきたからこその反転


    今度は、長い間傷つけられてきた人たちのお話。なんていうかこう、あまりにも虐げられ痛めつけられ傷つけられてきた人は、ある時点を境にこう思っちゃうんじゃないだろうか。「自分も傷ついてきたんだから、他の人も傷つくのは当たり前」とそんなふうに。

    これも他人の痛みに鈍感なパターン。

     


    3,許容量

    次は、「私はここまで大丈夫。あなたもそうだよね?」のパターン。

    痛みの許容値は人によって異なる。姫は自分のポエムを読まれて泣いてしまったが、これが真涼な冷笑でもって答えるだろう。人によって耐え切れる痛みの許容量は違う。


    同じ傷はあっても、同じ痛みはありえないんだ。


    人は自分の価値観だけが、唯一の物差し思ってるところがある。うんまあそれはそれで正しい。自分が思うから、世界はこうなのだ。うん正しい。


    でもその”自己の物差し”で他人は測定できない。自分の正しさは、相手の正しさとは相容れない。

    ―――私はここまで大丈夫。あなたもそうだよね?



    ここを勘違いしてしまうと、他人の痛みに鈍感になってしまう。人の心を理解できなくなってしまうと、私は思うんだ。



    +++++


    まだまだあるけど、3つと丁度いいのでこれくらいで。


    んーでと。


    この上記の3つの考え、この欺瞞に塗れた言葉にこの言葉をもって返そう。

     

     

     

     

     




    そもそも人の気持ちなんて分かるわけねーだろ

    正解。

     

    「きみの気持ちは分かるよ、様刻くん」

    病院坂は言った。

    「勿論僕ときみとの間には絶対的な距離、絶対的な障壁がある以上、きみの気持ちを完全に理解できるなんていうことはただの欺瞞に過ぎないのかもしれない。


    ここでは僕は『僕はきみではないのだからきみの気持ちは分からない』なんてことを言えばいいのかもしれない、それが本当なのかもしれない。


    だがね、本当のことでも言っていいことと悪いことがあると、僕は思うのだ。

    そして同様に、たとえ欺瞞であったとしても、言わなくてはいけない欺瞞というものがあるのだと思う。


    だから僕はこう言うのだ、
    『きみの気持ちは分かるよ、様刻くん』と」

     

    きみとぼくの壊れた世界 :病院坂黒猫

     

     

     

     

    おわり

    今クールでなぜか3回も記事を書いている「俺修羅」。もっと書くべきアニメあんじゃないの? とか言われそうだが私にもよくわからない。

    ちはやふるとか、PSYCHOPATHとかささみ@とか書こうと思うんですけど、なんか「俺修羅」は書きたくなるし書きやすい。ような気がします。


    俺修羅の感想を見回すと、
    「俺修羅に内容なんてなかった」
    「・・・もうどうすんだこのアニメ」
    「\(^o^)/」

    いろいろな人からボロクソに言われてる。



    けれど、同じくらいに放送を楽しみにしている人が多い。私もそその1人。んーw なんか変なアニメだなーとw なんか変な魅力があります。

     



    <参考>

    俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる 6.5 (GA文庫)
    俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる 6.5 (GA文庫)

     



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トラバ

コメントが遅くなり申し訳ないです…(関西は放送が遅いため)。
1クール分だと真那は悪役としてのイメージしか定着させてもらえそうにないですね。べるんさんの言っている1の場合が真那です。
私立中学生、実家が大規模な金持ち、家の財力で他の生徒を驚かせて取り巻きにして頂点でしか生きたことのない人間、それが真那なので他人以上に他人の痛みに鈍いんでしょう。女王様だったから。
話変わって、中二世界だから否定していいってわけではナイト・オモ・ウンデス。常識的に見れば避けられたりするのは当然、キモイと嫌がられたりする?でしょう。
でも、それは馬鹿にする、否定する
要素は中二要素(その時点で立派なヒトの一部ですが)、痛みを受けるのは、要素でなく相手だという事を知らない人間。
それが要素否定人間の怖さなのでしょう(相当な偏見です…)。
彼らは隙があれば何でもついてきますから。(相当なry
ですが、その傷を癒すモノは肯定なのでしょう。そして、肯定は否定で負った傷以上の成長を見せてくれます。…どんな要素にしても。そういった意味合いが今後のヒメの成長になるでしょう、仲間に囲まれて。中二世界の否定は、童話を信じる子供達の心を否定するのと何ら変わりないのでしょう。ですが、気持ちだけでなく要素一つの気遣いで人は成長できるんです!でも否定は傷つけるだけで何も残せません。それどころか殺したり、奪ったりします。痛みを知ることが人と接する上での成長要素だと考えれば成長の一環として否定があるのかもしれません。だから否定は否定されていくのか?それはとても分かり切った事じゃない。だから、学習や成長の一環なんでしょう(中二要素どこいったんだよwwオイww)。
↑色々と矛盾した文になりましたが…お許しください(震え声)。
今回は話よりもべるん様の見解に学ばせていただきました!
毎度ご苦労様です。長文失礼致します!レビュー有難うございます!お休みなさい!それでは!。

追伸:俺修羅はボクも不思議な魅力がある作品だと思います。
つい、毎回何度も見てしまうというww一種の電脳麻薬みたいな感じですかねww。



>ヽ(^o^)丿さん
コメントが遅くなり申し訳ないです…(関西は放送が遅いため)。
1クール分だと真那は悪役としてのイメージしか定着させてもらえそうにないですね。べるんさんの言っている1の場合が真那です。
私立中学生、実家が大規模な金持ち、家の財力で他の生徒を驚かせて取り巻きにして頂点でしか生きたことのない人間、それが真那なので他人以上に他人の痛みに鈍いんでしょう。女王様だったから。
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いえ、そんな気にしないでくださいw コメント貰えるだけで嬉しいのでヽ(>ω<)ノ

はじめから、豊かで満たされた人生っていうの考えものなんだなーと思いました。貧すれば鈍するといいますけど、贅もまた人を鈍くさせるんだなと。

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>話変わって、中二世界だから否定していいってわけではナイト・オモ・ウンデス。常識的に見れば避けられたりするのは当然、キモイと嫌がられたりする?でしょう。
でも、それは馬鹿にする、否定する
要素は中二要素(その時点で立派なヒトの一部ですが)、痛みを受けるのは、要素でなく相手だという事を知らない人間。
それが要素否定人間の怖さなのでしょう(相当な偏見です…)。
彼らは隙があれば何でもついてきますから。(相当なry

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最近だと『中病でも恋がしたい!』っていうアニメがいい具合に"中二病”のえぐみを出してくれたかなと思います。
「中二病ってなに? 普通の人とナニが違うの? どこがどう違うの? ここのまま中二病でいちゃだめなの? なんで? なんでダメなの?」と。

あのアニメでも分かるんですが、中二病を否定するっていうのは、それを生み出した人の「心」を否定するってことですから。否定されればやっぱり痛いのです。
確かに現実で見れば、中二病は恥ずかしい。痛々しいことこの上ないです。けれど、その要素、一部分はみっともないものでも、傷つけられば血を流すんですよね。


―――それが要素否定人間の怖さなのでしょう

この見方はなんというか面白いと感じました。

その人の半分以上は認めているのだけど、ある一要素は絶対的に気に入らない。気に入らないから徹底的に攻撃してやりますよ、っていう見方ですよね多分(間違ってたらすません⊂⌒~⊃。Д。)⊃)

これに気遣いや優しさという心を持ちあわせていたなら、
「もちろん姉さんは尊敬してるけど。
 あの性癖だけは直して欲しいから容赦なく言うわ」
となるんでしょう。

反対に攻撃性だけを持ちあわせていたら、今回のマナちゃんのようないや~な人になってしまんですかね。

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>ですが、その傷を癒すモノは肯定なのでしょう。そして、肯定は否定で負った傷以上の成長を見せてくれます。…どんな要素にしても。そういった意味合いが今後のヒメの成長になるでしょう、仲間に囲まれて。
>中二世界の否定は、童話を信じる子供達の心を否定するのと何ら変わりないのでしょう。
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殴ったり怒ったりするのは愛なんかじゃない。褒めて伸ばせ!という教育論に繋がるものを感じさせます。肯定するってことは「わたしはここにいてもいいんだ」っていう気持ちを育みますもんね!

サンタの存在を否定しないのが大人なのかもしれません。子どもの夢を壊すのは野暮ですもの。

けれど中二病は、なんというか扱いが難しい。彼らは子どもを脱却する時期でありながら、子ども心を忘れることができなかった人なんだと思います。周囲の人間はもうそんな夢みたいな心を捨ててしまった人ばかり。ゆえにその心を持ち続け、かつ表現していくのには苦痛を伴います。

なぜなら、続けていけば周りからは「社会不適合者」というレッテルを張られ、社会というコミュニティから居場所を剥奪されますから。

そうさせないために正す。矯正し強制する。そんな正しさが「大人」の役目だというなら、こんな現実ごめんです。まっぴらごめんです。お引き取りくださいって感じなのですよみー☆
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>ですが、気持ちだけでなく要素一つの気遣いで人は成長できるんです!でも否定は傷つけるだけで何も残せません。それどころか殺したり、奪ったりします。痛みを知ることが人と接する上での成長要素だと考えれば成長の一環として否定があるのかもしれません。だから否定は否定されていくのか?それはとても分かり切った事じゃない。だから、学習や成長の一環なんでしょう(中二要素どこいったんだよwwオイww)。
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前からたまーに考えていたのですが、ここのロジックってなんか不合理ですよね。不合理というよりは不幸な。

―――痛みを知ることが人と接する上での成長要素だと考えれば成長の一環として否定があるのかもしれません。

つまり私たちは、痛みという「不幸な体験」をしなければ誰かに優しくできない。辛いという「不幸を経験」しなければ、まっとうな人間。まっとうな幸せを得ることができないんだとすれば、なんというか・・・・・・なんていうんでしょうね? すごく最悪だなーと感じてしまいます。だってこれ、傷つくのが前提なんですもの。そんな世界構造にうんざり気味なのですよ。ってなんか変な方向に脱線している;゚∀゚)=3


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>今回は話よりもべるん様の見解に学ばせていただきました!
毎度ご苦労様です。長文失礼致します!レビュー有難うございます!お休みなさい!それでは!。

追伸:俺修羅はボクも不思議な魅力がある作品だと思います。
つい、毎回何度も見てしまうというww一種の電脳麻薬みたいな感じですかねww。

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いえー。こちらこそ毎回コメント有難うございますm(_ _)m

なんなんでしょうねwこの俺修羅の変な魅力w













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