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TOP > ライフハック本 > 今日からあなたも「教祖」になれる?! みんなをハッピーにして甘い汁を吸いまくろう!! 【完全教祖マニュアル】

    完全教祖マニュアル (ちくま新書)

     

     

     

     

    本書はあなたを「教祖」にするための手足となります。
    成功したいならば、忠実に従ってください。


    そうすれば凡人凡俗であるあなたでも、
    簡単に教祖になれます!!
    みんなをハッピーにして、あなたもハッピーになろう!!



    いいですか? やるべきことはたった一つです。

    本書を信じるのです。本書を信じなさい。本書を信じれば救われます――

     


    ……



    すごくユニークな本でした。うん、これは面白い。んでは読書メモの共有です。
     

     


     

     

     

     

    夏の終わりのニルヴァーナ (10)

     

     

     

     

     

     

    教祖になるのは簡単よ?

     

    教祖の成立要件は以下の二要素です。つまり、「なにか言う人」が教祖となり、「それを信じる人」が信者となるわけです。

    たった1人でいいから、誰かがあなたの言葉を信じてくれればいいのです。たとえば、あなたが今何となく思いついた戯れ言。これをインターネットの掲示板にでも書き込んでみてください。それを誰か1人でも鵜呑みにして信じたなら、あなたその瞬間から教祖と言っていいでしょう。

    とりあえずこの時点では、豪華な宗教施設も、細やかな理論も、全知全能の神も必要ありません。一名以上の他者に信じられた時点で、あなたは十分に教祖たる資格を得られたのです。

     

     

    教祖はみんなをハッピーにしてなんぼの世界

     

    人を洗脳し、お金を巻き上げ、思うようにこき使う。宗教なんかにハマってしまうと不幸になってしまう。――とんでもありません!

    事実はその逆です。教祖は人をハッピーにする素敵な仕事なのです! イエスは何をしようとしましたか? 戒律により硬直化した社会を打破し、人々をハッピーにしようとしたのです。分かりますね?

    あなたの使命もはやり「人をハッピーにすること」なのです

     

     

    宗教ってあやしくないの?

    確かに、現代日本における宗教のイメージはとことん悪いですよね。

    特に「新興宗教の教祖」などと言えば飛び抜けて悪いイメージがあります。宗教は非理性的で訳の分からないもの、論理的思考ができない知的弱者の慰み者。そういった雰囲気もあるかもしれません。

    ですが、ちょっと待ってください。キリスト教もイスラム今日も仏教も、同様に非理性的な理由で慈善事業だって行なっているのです。

    ボランティアなんて、よく考えるとすごく非論理的な行為ですよね。

    宗教の非理性的性格は確かに人を殺すこともあります。
    しかし、非理性的に人を助けることもあるのです。そして、あなたは非性的に人を殺すような教団なんて作りませんよね? つまり、そういうことです。

     

     

     

    無信仰の日本人

     

    「なんとなく無信仰がふつう」という感覚は、元を辿っていくと明治政府の政策に当たります。

    「外国からプレッシャーかかってるから信仰の自由は容認しないとなあ」「でも、できれば天皇だけ崇拝して欲しいなあ」

    という板挟みの中で試行錯誤していくうちに、「信仰の自由は認めるけど、特定宗教を信仰せずに天皇だけ崇拝しているのがふつうだよね?」という感覚ができあがり、それが第二次大戦後に「天皇崇拝」の部分が抜け落ちて、今までなんとなく続いているわけです。

     

     

     

     

    キリスト教はやばい宗教?!

     

    最もヤバいカルトはキリスト教でしょう。イエスの反社会性は只事ではあません。

    罪びとである微税人と平気でメシを食い、売春婦を祝福し、労働を禁じられた安息日に病人を癒し、神聖な神殿で暴れまわっていたのです。

    当時の感覚で言えばとんでもないアウトローで、もちろん社会の敵なので捕まえられて死刑にされます。

    同胞のユダヤ人からも、「強盗殺人犯は許せてもイエスだけは許せねぇ」と言われる程の嫌われっぷりでした。しかし、イエスはこれほど反社会的だったからこそ、今の彼の名声があるとも言えるのです。

     


    宗教なんて困っているときだけ

     

    人が宗教を意識するのは基本的に「困った時の神頼み」です。困ってないと宗教なんか見向きもしないものです。

     

     

    釈迦はメンヘラ

     

    普通の人は自分が老化したり病気になったりするまで、このようが苦しみばかりだとは思わないものですが、釈迦は他人が苦しむさまを観ただけで危機感を持ち、若いうちからこれへの解決に乗り出したのです。

    この辺りは宗教者として彼の突出したセンスと言えるのでしょう。………‥単にうつ病だったかもしれませんが。

     

     

    宗教ってキモい?!

     

    『ダ・ヴィンチ・コード』でもオプス・デイの男性が鞭で自分を叩くシーンがありましたよね。こういう自虐的な苦行に触れると、なんだか宗教ってとてもキモい気がしてくると思います。

    また、ゾロアスター今日では儀式の最中に信者が全裸になって牛の尿を頭から被りますし、無上ヨーガ・タントラの行者は、墓場で乱交しつつ射精を我慢したり、うんこを食べたりしたと聞きます。

    こういった異常としか思えない話を聞くと、「やっぱり宗教キモーイ」などと思えますよね。

     


    外部から見れば異常な行為でも、内部にはきちんとした論理があり、彼らにとっては「異常ではない」のです。

    筆者は浅学にして、うんこを食べる理由まではよくわかりませんでしたが、無上ヨーガ・タントラにもおそらくなんらかの論理があったのでしょう。


     

    みのもんたと神様は同列の存在

     

    スーパーで大量の納豆を手にしたおばさんたちは、

    「納豆がダイエットに教えてもらえてラッキー」「体にイイ食品が手に入ってラッキー」

    と、ウキウキしながら家路についたはずです。つまり、イスラム教徒とおあばさんたちの違いは、ムハンマドの預言に従うか、みのもんたの御託宣に従うかの違いでしかないのです。

     

     

     

    科学も宗教

     

    そうです。一般人は科学の検証なんかしないのです。これは使い古された言葉ではありますが、「科学も宗教です」。

    科学は、確かに頭の良い人たちが一生懸命試行錯誤して辿り着いた知恵ではあるでしょう。しかし、その科学を利用する私たちは、別に頭が良いわけでもないし、一生懸命試行錯誤したわけでもないのです。

    科学自体は論理的かもしれませんが、私たちは非論理的に科学を信用し、それを利用しているのです


    非論理的な信用は、つまり「信仰」ですよね。

     

     

    宗教は世界的解釈を与えるためのツール

    教祖のお仕事は人をハッピーにすることです。
    世界にはいろんな人がいて、いろんな時代やいろんな文化がありました。

    教祖はそんないろんな状況に対して、ケースバイケースで対応し、人々にハッピーを与えていたのです。だから、いろんな宗教があるのですね。

     

    それで、どうやってハッピーを与えていたかというと、彼らは人々に世界を解釈する斬新な方法を与えいていたのです。私達が何を考えていようとお構いなしに、「世界」は、こう、どーんと存在してますよね。問題は、私たちがその「世界」をどのように解釈するかということです。

    どう解釈したらハッピーに生きていけるのか、十人十色ですから、それは人によって違います。科学的に解釈するのも一つの選択ですし、キリスト教的に解釈しても、仏教的に解釈しても、イスラム教的に解釈しても構いません。それは自由ということになっています。

    「実はこれが正解でした!」というのが本当はあるのかもしれませんが、今のところ誰にも分からないので、自分がハッピーになれるものを選べばよいのです。教祖のお仕事は、そんな選択肢の一つを与えること、つまり、あなたなりの世界解釈を説くのです。

     

     

    終わり


    本書は「教祖という作る立場で見えた宗教観」と言ったところでしょうか。

    この本だけで「宗教とはなんたるか」を全面的に信用するのは危険な気もします。しかし割りといい所突いている気がするのも確かです。 

    結構共感できるところがあって、目からうろこの本でした!

     

     

    <参考>




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