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TOP > オピニオン > どうしてこの作品を『好き』になったんだろう?―――それは心の傷のせいかもしれない。

    僕が天使になった理由 (87)

     

     

    好きな作品があります。とてもとても大好きな物語があります。
    誰にだって1つくらいはある、お気に入りの物語。
    けれど、誰もが気に入っている物語なんて無いです。


    私が気に入っている物語を嫌っている人もいる。
    私が嫌いな物語を気に入っている人もいる。


    この差はどこの差?
    一体なにが原因しているのだろう?




    ――それは

    心の傷が原因しているかもしれない



     

    なぜこの物語を好きになったのだろう?

     

    中二病でも恋がしたい1992_0

    例えば『中病でも恋がしたい』。このアニメは前期の中で、いえここ数年の中でとても大好きな物語。

    中二病の痛々しさ、自己否定のつらさ、現実との摩擦、心象世界の亀裂、否定と肯定を繰り返していく六花たち――


    そんな彼女たちが本当に大好きで、大好きで大好きです。
    けれど、他の人の感想を聞くと"大好き”ではないという声もありました。


    「シリアスはいらなかった」
    「六花が痛々しい」
    「ぶひいいいい」


    と、私から言わせれば噴飯ものの意見ばかり。"なにも分かっていない”"なにも見えていない”"なにも考えていない”人達だ


    ―――とそんな事を言うのは容易いですが、どうもなにかを見落としている気がします。私と彼らの前提が違えているような気持ち悪さを覚えました。



    ふと、考えが浮かびました。



    もしかしたら、ある"物語を好き”になるのには、適応する心が必要なんじゃないかと。

    その物語の核にぴったりと当てはまるような心のカタチを持っている人じゃないと、好きになれないのかもしれない、と思いました。

     

     

     

     

    心のカタチ?


    rippu54

    人の心とは、元々ひとつの立方体のようなものです。


    柔らかく弾力があり、もちもちすべすべしている。しかし、時が経つごとに、人と人の諍い、暴言、暴力といったナイフで様々な傷をつけられ変化していってしまう。

    まっさらな一辺だったものが、細い傷あとでぼろぼろの表面になる。綺麗な立方体が、するどく尖った三角形になったり、真ん中が空洞なドーナツ型になってしまう。


    柔らかさは硬さへと、弾力は失せ萎んでいき、心のカタチは定まっていく。そうして出来たのが「心の傷」を持つ一個の人格。人間です。



    人間の心は十人十色で、皆が皆それぞれに様々なを抱えている。



    そんな心のカタチ、心の傷に物語が適応する。物語が抱えている障害、傷に自分の心が重なりあう。その時、その作品を"大好きな物語”になるんだと、私は思いました。

     

     





    さて、私の傷はなんだろう?

    中二病でも恋がしたい548 12話 (61)



    さきにあげた『中二病でも恋がしたい』で考えてみます。どうして私がこの作品が好きかというと、『心象世界の否定』に焦点をあてたものだからです。


    「中二病」というのは、現実では受け入れられない存在です。小さい頃ならまだしも、高校生にもなって「中二病」で在り続けるのはとても難しい。

    架空の世界、妄想の力、幻想の風景。それは一種の"現実逃避”です。現実から逃げている六花を、もちろん周囲のみなさんは許しません。


    冷たい視線で"見”殺し、否定という言葉で"咬み”殺し、暴力で"叩き”殺す。六花の心を殺し"続け”る「現実」。六花の心象風景を否定し"続け”る「社会」。




    そんな世界構造にもううんざりしている私は、彼女の痛みに苦しみに悲しみに、心が惹かれないわけがないんです。


    生存を戦略し、生きる為にとった方法が自分を苦しめている。原風景は心ない人によって壊される、その悲しみ痛みが、そういうのが分かるから、理解できるから、この物語を私は"大好き”なんです。


    となると、多分これが私の心の傷なんでしょう。中二恋の記事を見て分かる通り、あれだけなんか異質ですからね。今思えば、書き方とか思いの吐き出し方とか。

     

    この心の傷を持っていない人は、『中二病でも恋がしたい』はただの平凡なアニメと評価してしまうんでしょう。自分の心の傷に合致した人は、大好きなアニメと評価するように。


    良いか悪いかではなく、彼らと私とでは視ているものが、感じていることが、受けたものが違うのです。

    楽しめる・大好きになれる前提がそもそも違うのですから、そりゃあ当然なのかもしれません。

     

     

     

     

     

    自分が好きな物語には、"好き”になる理由がある

    猫撫ディストーション (963)

     

    ということで好きなアニメ・エロゲー・小説を全点洗い出し、分別し、理由を探してみたら、

     


    「確かに、ここは人格の根幹に関わっているかもしれない……」


    と思うほどに、心の傷っぽいものが浮かび上がってきました。なんつーか恐ろしい……。


    ―――

    もし良かったら、「なんで自分はこの物語を"好き”なのか?」と考えてみてはどうでしょうか。なんとなーく自分の心の傷っぽいものが、浮かび上がって来るかもしれません。


    (※個人差があります(白目))



    まとめ


    ・自分の好きな物語は、皆が好きとは限らない。
    ・自分がもつ"心の傷”と物語の核が合わさったとき、大好きになる
    ・自分が好きな物語は、自分の心の傷、満たされない願望が具現したものかもしれない



    分別した「好きになった理由を」3つほど説明をしたほうがいいと思うんですが、これって諸刃の剣なんですよね。自分で自分の傷をこじ開けて、内蔵をぶちまける。そんな生臭い内容になりそうだったので、カットすることにしました。


    うんでも、書いてて楽しい記事でした。(やっぱり六花ちゃんを書く記事はモチベーションがおかしいっw)

     

     

     

    <参考>

     



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