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TOP > ライフハック本 > 【レビュー】苦しんでる人にどう向きあえばいいのか:なぜ私だけが苦しむのか

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    本書は著・クシュナーが最愛の息子を失ったことで書かれたものだ。
    彼は聖書やヨブ記などから教えを引用し、人の世の苦しみにどう向き合っていけばいいのかを説いた本である。
     
    クシュナー氏は神を信仰している人だ。
    だから彼は悩む。
    善良な我々に、どうして神は苦難を与えるのかと。
    悪人の所業によって、善良な人は命を奪わ得れねばならいのかと。
     
    どうして何の罪も犯してない息子が、早老病にかかり死んだのかと―――
     
     
    無宗教を、宗教然として崇め奉ってる我々にはうさんくさく感じられるかもしれない。
    そんな私達だって1月1日に大手を振って初詣にだって行くし、クリスマスだってお祝いする。もちろん買うのは、キュリオのいちごのショートケーキ。絶品。
    あーそれでも、神様なんて信じてないけど。


     
    でもクシュナー氏は、信じている。
    神はいるし、私達を見守ってくれている。
    神に祈ることで、忍耐を授け、希望を与え、生き抜く力をくれると言う。信じてやっても私に害はない。
     
     
     
     

    なぜ、神は善良な人に苦しみを与えられるのか

     
    ここに一人、ヨブという青年がいたとしよう。
    彼は自他ともに認める善良な人。
    困っている老人がいたら杖になり、友人が悪党に殴られていたら躊躇なく助けにいくそんな青年。
     
    ある日、ヨブは不幸のどん底に落ちる。
    家はなくなり、家畜は殺され、子供たちも殺される。
    挙句の果てに、ヨブの体いっぱいにできものが出来、一日中彼を苦しめます。
     
    「神はなぜこんな仕打ちをするのか!」
     
    そんな彼を慰めるために、3人の友人が彼の元へ訪ねます。
    三人の友人は、ありきたりな信仰心で彼を慰めます。
     
    「そんな深刻になるなよ」とか。
    「もっと、ヒドイことが起こらなくてよかったじゃないか」とか。
    「信仰を失っちゃいかん、神様は善を栄えさせ悪を処罰してくれる。きっとお前さんは神様に試練を与えられているのさ」とか。
     
    ヨブはそんな言葉は聞きたくもありませんでした。
    だってそれを認めたら、自分が正しくなく悪い人間だったと認めることになるからです。それだけはどうしても譲れません。
    自分は完全無欠だとは言えない。
    でも他の人よりも正しく生きようとしてきたし、たいていの人よりも努力をしてきたんだと大声で叫びます。
     
    故にヨブは家も子供も失うほどに、悪いことはしてないと言い張ります。
    それでも三人の友人は、主張を引っ込めません。
    彼らにも信じるべき神がいて、信じるべき教えがあったからです。
     
    「今のほうが君にとって幸せだと神様は思ったんだよ」とか。
    「そう、君にもっと敬虔深い人生を送って欲しかったに違いない」とか。
    「君や私達が気づいてないだけで、君は罪を犯してきたのかもしれない」と九官鳥みたいにさえずります。
     
     
    なんだ、なんだこれは。この言葉はまるで――――
    まるで、それは、ヨブが不幸な人に語ってきたことと同じだったのです。
    ヨブもまた同じ言葉を、悲嘆にくれる人に対して語って来ました。
     
    「泣くのはおよしなさい、神様はすべて見ておられる」
    「きっとこれでよかったのさ」
    「キミは、もっと違う選択をしていれば良かったんだ」
     
    このようなコトバは空っぽの音がしました。
    このようなコトバは、自分を助けてはくれません。
    このコトバは、誰を助けてくれるのだろう。
     
     
     
    ヨブは気づきます。
    何かが間違っていると。
     
    ヨブは気づきました。
    そうか、それでも神はいる。
    神は正義であり公平だ。善を尊んでいらっしゃる。
    だがしかし、神は全知全能、完全無欠なんかじゃない――――
     
     
    ――――この世は正しい人に不幸が振りかかる、しかしそれは神の意思じゃないのだ。
    神は人々にふさわしい人生を与えられるように望んでいるが、いつでもそのようにことを運ぶことができないのだ。
    全能じゃないが、善なる神なのだ――――
     
     
    ヨブは答えを得ました。
     
     
     
    ●長くなりましたが、ヨブが得た答えはクシュナー氏が得た答えというのはお気づきだと思います。
    クシュナー氏はこの考えを元に世界の森羅万象を語ります。
     
    なぜ病があるのか。
    なぜ痛みがあるのか。
    なぜ理不尽な出来事があるのか。
    なぜ神は、悪を止めようとなさらないのか。
    なぜ秩序は完成されないのか。
     
    ええ、語ってはくれますが語ってくれたものの、全て独りよがりの答えでした。
    答えが答えじゃあーないのです。上記の問いは全て神というベールで覆い隠しうやむやにしてしまいます。
     
    自由意志、七日七晩の世界創造説、エントロピー、人口過密。
    科学的な証拠、聖書的な証拠を持ちだしては、「この問いはこれで通るんじゃない?あー無理かーじゃあこう考えて!神さまがさ(以下略」
     
    おためごかしは、もううんざりです。
     
     
    “神様はいるかもしれないし、いないかもしれない”というスタンスを取ってる私。
    そんな私に「神は君と共におられるんだよ」「神は私達を見守ってくださっている」
    、と押し付けられてもハイ、そうですねと素直に肯けないお年ごろ。
     
    でも逆に「神なんているわけねー」「神様なんて信じてんの?オカルトですかカルト宗教ですか」
    と神の存在を否定されると、今度はそれを否定したくなります。
     
    いえいえ、神が存在しないなんて否定できないよ。
    “い”るは証明できるけど、“い”ないは証明できないよ。
    もうあれだよ?神様がいないってことはこの世にサンタさんも宇宙人もネッシーもひたぎさんも居ないってことだよ、ムリムリそれは無理。
    私のメルヘンどこいったのよ、どこいっちゃたのよメンヘル。
    と馬鹿騒ぎする私を、生暖かな微笑で彼らは立ち去っていくのです。
    ほほほ、愉快愉快。
     
    そんな天邪鬼な私。
     
    と、話が逸れましたね。
    要するに、この本で許容できないことはたくさんありましが、教えられるべきところもあったということです。
    次にいってみよう。
     
     
     

    苦悩する人はどうすればいいのか

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    なぜ私だけが苦しむのか:マインドマップ
     
     
    クシュナー氏はこう語ります。
    慟哭し心が壊れそうな人に言うべき言葉は分からないが、言ってはならないことは分かると。
     
    ・悲しんでる人を非難するようなことは、間違い。
    「そんな深刻になるなよ」
    「泣くのはおよしなさい、みんな困ってしまうじゃない」
     
    ・悲しんでる人の痛みを小さくするのは、適切じゃないし喜ばれもしない。
    「きっと、これでよかったのさ」
    「もっと、ヒドイことが起こらなくてよかったじゃないか」
     
    ・悲しんでる人の感情を否定したり、それを促すのは全て間違い。
    「信仰を失っちゃいかん、神様は善を栄えさせ悪を処罰してくれる。きっとお前さんは神様に試練を与えられているのさ」
     
     
    これは私にも経験があります。2つともです。
    1つは友人の相談事に真面目くさく、アドバイスをしてしまうこと。
    彼らが悩んでいることに解決策を見出そうとし、説得しようとしましまうこと。
    友人がそれを望んでる場合はいいのですが、もしそうじゃない場合だったとしたら馬鹿なことをしていたなと悔やまされます。
     
    もう1つは、私が友人に相談“ぽい”ことを話した時のことです。
    私は何気なく友人に相談“ぽい”ことを投げかけました。
    友人は律儀にも、自分の考えに基づいて、解決策を見出しアドバイスをくれました。
     
    でもその答えは、私が望んでいるものじゃなかった。
    私が欲しかったのは、ただそのことにたいして悩み、慰めてくれるだけで良かった。
    思いやりの言葉や同情してくれるだけで良かった。
     

    苦しんでる人には一つの正しさより、一つの思いやり

    ヨブの話を思い出してください。
    ヨブは、家を失い、子を失い、体が引き裂かれるような苦しみを味わいます。
    そんな彼に正しい助言や、適切な信仰の説明など必要とはしていなかった。
     
    彼が必要としていたのは、たった一つの思いやりだったのです。
    責めないで抱きしめてくれる友、耳を貸してくれ、そばいてくれる友だけが必要だったのです。
     
     
    三人の友人、そして私もそういうことに対して理解が及ばなかった。
    いえ理解していても、相手が何を欲しがっているのかを見極めるのはとても難しいこと。でもそれでも簡単なことがある
     
     
    必要なときにそこにいてくれたという事実は、 ただそれだけのことで、何にも増して、ありがたいものだ。
    【戦場ヶ原父】
     
    のかもしれない。
     
     
     
     

    それでも苦悩は、人の世からなくならない

     
    クシュナー氏は2つ提案しました。
    ・この世を赦し、愛すこと
    ・祈ることで、神様は希望と忍耐、生きぬく力を授けてくれる
     
    一つづつ見ていきます。
     
     
    この世を赦し、愛すこと
    この世の不条理を赦し愛すことこと。
    不完全な神を許し愛すことこと。
    この痛みと苦しみ、病、嫉妬、不運や残虐がはびこる世界を創造した神を赦し愛すること。
     
    これがあなたに出来るならば、赦すことと愛することは、完全には多少欠けるところのある世界で、私達が十二分に、勇気をもって、そして意義深い人生を生きるために神が与えてくださった武器であるということがわかるのではないでしょうか。
    ちょっとこの二つは安易に否定したくないが、すごい難しい(行動的に)ぞ。
     
     
     
    祈ることで、神様は希望と忍耐、生きぬく力を授けてくれる
    祈った願いは聞き届けられないのが、ほとんど。
    でも祈った行為、その行為にたいして神様は希望と忍耐、生きぬく力を与えてくれるよと言っています。
     
    この二つはある人に対しては、拒否反応が出ちゃう人もいると思います。
    ただこれらが理解し、許容できるなら人生はよりよい方向へ向かうことでしょう。
    たぶん、おそらくきっと。
     

     
     
    ということで皮肉まじりのレビューでした。
    一番大事なとこは見出し2のところですね。
    あそこはハッさせられる考えでした。
    よーし明日から気をつけるぞーテヘペロ
     
     
     
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